「生涯の友」

こんな夜中に、ブログを書いている。
ここ数日間、持病でもある頚椎の痛みと戦っていた、というか戦っている。
「持病」というのは、
自分が24歳のときに、スノーボードで調子をぶっこいて10mの崖から、
「ビッグエアー」を決めようとし見事に失敗。
吹雪で視界ゼロに加え、ガッチガチのアイスバーン。
そこを先頭をきって飛び出し、10m上、首から叩きつけられた。
まさに「怖さを忘れたときの怖さ」であった。
救急車の中で「首から下が全く動いてこない」自分の体に本気で、びびる。
病院に担ぎ込まれたときの先生の第一声、
「残念ですが、生涯車椅子生活は覚悟してください・・・」、
という非常にヘビーなものだった。「せめて親が来てからにしてくださいよ~、先生!」、
と泣きそうなくせに、カッコつけて言ったのを今でも覚えている。
(時のひとの、イケイケ国母選手でも言わないかもしれない・・・、
いや、あの当時、ボードの腕はおいといて、
態度だけは国母選手に勝っていたのかもしれない・・・)
一緒に滑りに行っていた20人近くのナカマが廊下で心配そうに待っている。
「あいつらに、なんて言おう・・・」物凄く悩んだのを、覚えている。
「先生、廊下出してよ!」
廊下へ出ると皆状況を察してか、「言葉にできないシリーズ」になっている。
ストレッチャーから皆を見上げ、自分が精一杯の笑顔で言った言葉。
「大丈夫、大丈夫!かならず歩いて病院出るから!心配すんなって!、なっ!」
皆、凍りついた表情、泣いているものもいた。
正直、この言葉はその当時自分の人生のなかで、
「一番のプレッシャーのかかる一言」だった。
(多分、国母選手のメダルよりもだ・・・)
そこから地獄のような入院生活とリハビリがスタート。
奇跡的にも首の骨は折れておらず、神経が何本か切れ掛かっているとのことだった。
その当時の医学では手術も出来ず、これといった治療もない。
ただひたすら神経の回復を寝たきりで待つ。
1ヵ月半はずっとベッドの上で頭と首をがっちり固定され寝たきりの生活。
これはまだ24の自分にとって、まさに「生き地獄」だった。
しかも神経を使ってはいけないという理由で家族以外は面会謝接。
精神的にもかなりやられそうになるが、
みんなに誓ったあの言葉「必ず歩いて病院出るから!」、
その言葉を言い放った意地で頑張った。
頭の中は元気なのに寝たきりのあのつらさ、
動きそうで動かない手足が歯がゆいあのリハビリ、
酒もタバコもナカマも〇〇〇もすべてとられ、
本当に過酷であり、自分との戦いだった。
それから約半年後。
病院へ担ぎ込まれたときよりも、筋力をつけ、
そして、「自分の足で歩いて病院を出た」。
先生は笑顔で「奇跡だね」と言った。
「いや、気力ですよ!」と満面の笑顔で言い返したのを、覚えている。
あのとき、ナカマたちに言った言葉。
今思えば、正直、そこまで皆を思っての言葉ではなかったかもしれない。
ただ、自分が「男の意地」として這い上がれたきっかけを、
あのナカマたちがつくってくれたのだと、思う。
時は過ぎ・・・
今でも急激に寒くなると、いきなりやってくる首の激痛。
早くて1日、長いときで1週間ほど続くこともある。
痛み止めを飲もうが、暖めようが、全く効かない。
座っていても、立っていても痛いので、ただただベッドで横になっているしかない。
これでもまだましになったほうで、昔は手足の痺れがひどく最後には歩けなくなってしまい、
ついに4年前、頚椎の手術をした。というわけで自分の首の中には4本のチタンボルトが、
突き刺さって固定されている。ちなみにチタンだから空港のゲートを通っても、
「チンコーンとは、鳴らない」。
正直、横になっているしかないというのは本当に、つらい。
嵐が去るのを待つがごとく、外の天候があたたかくなるのを待つしかない。
かと思いきや、いきなり訳のわかんないタイミングで「あれ!?」って感じで治ることもある。
そして、この首の激痛とベッドで戦っているとき、いつも思う。
「あの頃、あの時、あの入院生活を思い出せ、自分!」
「気持ち、負けんなよ、自分!」
「これもなんか意味あんぞ、自分!」
「今も病院で闘っている人が何人いると思ってんの?自分!」
「でもな~自分よ!痛いもんは痛いんだよ、自分・・・。」
このようにもう一人の自分と自問自答しながら、戦っている。
病気や持病。
一人一人に与えられた「試練」だと思う。
そしてこれを経験、もっている人は「変わりにいろんなものを得る」のかもしんない。
健康への感謝、周りへの感謝、自分の存在意味など・・・、
本当に、考えさせられる。
「生涯の友」ぐらいにとらえたほうが良いのだと思う。
「爆弾のような奴は爆弾をしょったほうが良いのかもしんない」笑!
(自分の場合だが・・・)
国母選手。世間からあーだこーだと言われているが、
日の丸をしょって出るプレッシャーの中で、あのイケイケな態度と発言と滑り。
結果はどうであれ、口ばかりで何もしないやつらより、
よっぽど「大した男」だと、自分は思う。
そして、国母選手が十数年後に、選手人生を振り返ってかならず言うだろう。
「今の自分がいるのは、すべての経験と、あの時があったから・・・、
みなさんのおかげだと思っています、ありがとう」と。
やっぱ、すべてにおいて、「心・技・体」ですね。
今日は自宅からのブログだったので、
一気に長文になってしまいすいませんでした。
とにかく、はやく、「さらに回復帰します」。
追伸 お打ち合わせ、お電話に出られなかったお客様・関係者の方々、
    ご迷惑・ご心配をおかけしましたこと、この場をお借り致しまして、
    心よりお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。
    
NOBU

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