「確信」

なぜ、今、「これ」を書きたくなったのかは解らない。
ただ、単純に、書きたくなった。
このブログをいつも見てくれている人たち、
そして、偶然にもこのブログを見てくれた人たちに、
伝えたくなったのかもしれない。
僕は、この約1年半のあいだに、大切な人の「死」と「命の誕生」、
この両方を「目の当たり」にした。
目の前で消え行く命、目の前で生まれ来る命、
そこで、「確信した」、いや、「確信できた」ことがあった。
「死にゆく人、生まれくる人」。
間違いなく、「同じ場所」に帰り、「同じ場所」から来たということ。
「これを確信した」。
A B A B A B ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
この繰り返しだとするならば、
どんな人だって、「生まれくる意味が必ずある」、ということ。
でなきゃ、何度も「B」には、来ない。
人として生まれてくる「B」、これが「奇跡」だとするならば、
「生かされている感謝、すべてへの感謝」、
これを決して忘れてはいけない。
そしてただひたすら、それを忘れずに生きるということが、
「生きる」ということの意味なのかもしれない。
この殺伐とした世の中で、
様々な理由から自分の命を絶つ人たちが、
残念ながら、あとをたたない。
自分の「生きる意味や価値」を見出せない、
これが理由だとするならば、
絶対に、やめてほしい。
あなたは生きているのではなく、「生かされている」。
ただ、生かされている「今」、「ここ」、「自分」、
「皆」に「感謝」、これだけでいい。
「生きる意味や価値」なんて、見出さなくていい。
それでも、どうしても、自ら命を絶ちたいというならば、
僕が経験させてもらった、
「死に行く人」と「生まれ来る人」、
この両方の現場、瞬間に立ち合わせてもらえばいい。
病院・産婦人科・ホスピスなどへ行って、
「僕は今、死にたいんです。死ぬ前に、
どうか生死の瞬間に立ち会わせてください。」とお願いしたらいい。
死ぬ勇気があるのなら、そのぐらいは出来るだろう。
もし、その両方の瞬間に、あなたが立ち会えたなら、
きっと、今の自分に感謝し、涙が溢れ、
生かされているということに気づき、
感謝の念で心が満ち溢れるだろう。
自殺者があとをたたないこの昨今、
国は、訳のわからない政策を考えて討論している前に、
このぐらいのことをやってほしい。
心が病んでしまっている人たちを、救ってあげてほしい。
「生きる」→「生かされている」→「感謝」→「生きるということ」。
このことに「気づいてほしい」。

僕の経験が、ほんの少しでも皆の「生きる」につながればと思い、
書かせていただきました。
これは、僕の個人的な独断と偏見で書かせていただいた文章です。
NOBU

最近の記事

PAGE TOP