今日、6月11日は僕にとってかけがえのない人の命日でした。
去年の今日、彼女は約三年間の闘病生活の末、この世を旅立ちました。
31才でした。
僕は彼女に、「人の生きる意味、本当の幸せ」を学びました。
彼女は、自分がおかされている病気も、そして余命もすべて知っていました。
約三年間ほぼ毎日、本当につらい抗がん剤と放射線の副作用と闘い続けました。
ただ、彼女は毎日前向きで、心から「シアワセ」そうでした。
そう、「太陽を見上げる、ヒマワリ」のように・・・。
彼女の口ぐせは・・・、
庭に出て「風が気持ちい!、鳥が鳴いてる!、空が青い!、
洗濯物が干せる!、チョウチョウが今日も遊びにきた!・・・、
満面の笑顔で「シアワセ~!」と体は物凄くつらいはずなのに、
毎日そう言っていました。
外出すると「今日は吐き気がすくない!足が動きやすい!、
お買い物が出来る!外の風が吸える!・・・
満面の笑顔で「シアワセ~!」と体中がひどいはずなのに、
心からそう言っていました。
二年が過ぎた頃から日に日に、記憶がとぶようになり、眠ることが多くなり、
少しずつ歩けなくなり、一人で座ることが出来なくなり、
しゃべれなくなり、食べられなくなり、トイレが出来なくなり・・・、
いよいよ、自宅から病院へ「最後の入院」となりました。
そんな状態でも彼女は、救急車で病院に搬送中、
自分に「ピースサイン」をだしました・・・、
「最高の笑顔」で。
入院後、表情もなくなり・・・、そして、最後の意思表示は、
「まばたきのみ」になりました。
それでも彼女は、時おり一所懸命に笑顔をつくり、
「シアワセか?」と聞くと、何度も何度もまばたきを返しました。
これは約束していました。
「もし、話せなくなったら、まばたきで話そうね」と・・・。
病院内にある桜を、車椅子にのせて二人で見たときに、
僕の目を見て、「うれし涙」をながしました。
そして、最期のとき・・・、
ベッドのまわりを、家族みんなに囲まれながら、
彼女の胸に耳をあてると、心音が少しずつ小さくなり・・・、
自分の腕の中で・・・、
「天国へと旅立ちました」。
31才。
普通に聞けば病気におかされ、短命で「かわいそう」だと、
思う人がいるかもしれません。
しかし、彼女はちがいます。
「人の生きる意味、本当の幸せ」に気づき、
毎日を、そして一瞬を「生き抜いた」のです。
そして、多くのまわりの人間にそれを気づかせてくれたのです。
彼女は自分で、病気になったことを1日たりとも、
不幸だと思っていませんでした。
そうです。
彼女は決して不幸ではなく、「最高のシアワセ」を手に入れたのです。
人生は「長さではなく、深さです」。
明日、いや、1時間後数分後、何が起きるのか、誰にもわかりません。
「生かされている」のです。
人の一生は宇宙単位でみれば「一瞬です」。
その「一瞬の一瞬」を、「あたりまえのことを、心から感謝して生きる」、
心から感謝できる・・・、
彼女はそれを、目の当たりに僕たちに見せ、教えてくれました。
そして、本当のシアワセに気づいて、この世を去った彼女は、
もっともっと、
「本当の意味での大きな存在」となりました。
命日。
呼んで字のごとく、「命の日」。
本当に生きる意味、本当の幸せに気づき、生き抜いた人は、
「亡くなった日」ではなく、あらたなる「誕命日」。
「誕生する命の日」となるのかもしれません。
残された人間は、彼女がのこしてくれた「生きた証」を、
決して無駄にしてはいけません。そして、忘れてはいけません。
そして、彼女のぶんまで、一生懸命、笑顔で、前向きに、
「生きる義務」があるのです。
朋友へ
いつもいつも、ありがとう。
心から心から、感謝してるよ。
ずっとずっと、忘れないよ。
ずっとずっと皆のこと、見守っていてね。
いつまでもいつまでも、あの笑顔で・・・。
そして、あなたが見せてくれたように、
「シアワセになる」ではなく「シアワセに生きるよ」!
笑顔で、前向きに・・・、
そう!「タイヨウを見上げる、ヒマワリのように」。
追伸
一周忌にあたり、彼女の生きた証、誇りにかけて、
ノンフィクションで書かせていただきました。
ほんの少しでも、皆様の「生きる」につながれば幸いです。
最後まで読んでいただいた皆様、心よりありがとうございました。
NOBU